大山エンリコイサム:Rock Show, Sick I Go

1 アウトドア・ダイニングとワイルド・ポスティング

本展「Rock Show, Sick I Go」の構想には、ふたつの前提がありました。ひとつは会場のザ・ギャラリーが、通常のホワイトキューブでも、レストランでもなく、展示とダイニングの機能を等しく備えた両義的な場であること。もうひとつは本展が、コロナ禍以降のニューヨークで行なわれること。私にとっては、2年間の東京生活のあと、最初のニューヨークの個展です。

この前提から最初に浮かんだキーワードは「アウトドア・ダイニング Outdoor Dining」です。外食産業はコロナ禍で深刻な影響を受けましたが、その葛藤から生まれたアウトドア・ダイニングという食の形式は、いまやニューヨークの風物詩となりました。それはストリートの風景を織りなす新たなエレメントとして、ニューヨーカーの日常を彩っています。

ストリートの風景という切り口から次に浮かんだのは、「ワイルド・ポスティング Wild Posting」です。路上の壁にポスターとして貼られるこの商業広告は、欧米の都市によく見られます。一見すると無許可にも思えるそれは、合法と非合法、アートと広告の境界を揺さぶり、ミンモ・ロテッラなどの芸術家にインスピレーションを与えてきました。

アウトドア・ダイニングとワイルド・ポスティング。コロナ禍以降と以前に由来する、こうした路上のアクティヴィティは、私が研究してきたストリートアートとともに、幾重にも編まれた視覚のタペストリーとして、日々変化するニューヨークという都市のランドスケープを更新しています。これらを着想源に、屋内外に広がるアートとダイニングの可能性を考えた結果、本展は次のような構成になりました。

2 展示の構成

来場者がまず目にするのは、アウトドア・ダイニングのテントに施工された壁面作品《FFIGURATI #404》と、本展用に製作されたワイルド・ポスティングです。後者は、展覧会の告知ポスターとしてニューヨークのさまざまなエリアに掲示されると同時に、作品としてザ・ギャラリー内の壁面にも展開されます。広告でもあり、作品でもあるという多面的な存在です。

入口のガラス面には、もうひとつの壁面作品《FFIGURATI #400》があり、そのクイックターン・ストラクチャー(QTS)は本展のワイルド・ポスティングにも使われています。アウトドア・ダイニングのテント、ワイルド・ポスティング、ふたつの壁面作品が共存するエントランス付近の空間は、先述した都市風景のタペストリーを再現しており、本展の最大の特徴です。

中に入ると、ワイルド・ポスティングが展開された壁面があり、過去作や近作を中心に絵画や版画も展示されています。そのひとつが、本展のために新しく制作された小品《FFIGURATI #403》です。ここでは《FFIGURATI #400》と同じクイックターン・ストラクチャーが、エアロゾル塗料を用いたステンシルの技法でキャンバスに描画されています。

同じQTSが、《FFIGURATI #400》、《FFIGURATI #403》、ワイルド・ポスティング、そしてダイニングのメニューと本展のドキュメントを兼ねたオリジナルZINEの表紙にも現れます。それは屋内外をまたいで、壁面、キャンバス、仮設テント、告知ポスター、飲食メニュー、記録物といった多様な空間を横断し、本展を構成するさまざまな位相を結びつける役割を果たします。

3 落書と席画

以上はコロナ禍以降のニューヨークにおける路上の風景への参照ですが、本展はそこにさらなる別の時空を重ねます。近世日本の「落書(らくしょ)」と「席画(せきが)」です。これは日本人シェフである大堂氏が運営するザ・ギャラリーという場への自然な反応であり、また爛熟した江戸の都市文化のうちに、本展のアイデアと結びつくような事象を探り当てる思考実験でもあります。

時の権力を批判する風刺であり、紙にかかれて路上に落とされる落書は、日本における匿名的な路上表現の先駆けのひとつです。権力批判は今日のストリートアートにも見られる性質で、例えばバンクシーにはときに落書を思わせる作品があります。また紙を素材にする点が落書とワイルド・ポスティングに共通する一方で、権力批判と商業広告という目的において両者は異なっています。

席画は、宴の場で客人を前に絵をかく即興のパフォーマンスで、江戸時代に多く見られました。飲食の場に接した表現の形式であり、それは本展のコンセプトと響き合います。かつて積極的にライブ・ペインティングをしていた私にとって、席画というアートフォームはつねに関心の対象でした。それが日本におけるライブ・ペインティングの先例であると論じたこともあります。

学術的なエビデンスはありません。しかし当時の町人文化と親和性があった落書や席画には、どこか現代のストリートの美学と共鳴する精神を感じます。ニューヨークと江戸、現代と近世といった、時代と空間を異にするさまざまな文脈を並置することで、私たちは、本展に訪れる人の想像力をボーダーレスに跳躍させたいのです。それはある種の遊び心であり、またそれ自体がストリート的な態度でもあるでしょう。

その遊び心を体現するのがタイトルの「Rock Show, Sick I Go」です。これは落書(Raku-Sho)と席画(Seki-ga)の語呂合わせであり、具体的な意味はありません。同時に、アメリカ的で、ストリート的な響きを含んでもいます。それは文化の表面的な需要や誤解から新たな創造の流れが生まれることもあるという、歴史上に散見される事実についてのささやかなステートメントなのです。

4 路上の記憶

最後に歴史を考察すると、あることに気づきます。かつてニューヨークでは、子供たちが道端に落書きをする姿が見られました。しかし車の時代が到来。都市計画家のロバート・モーゼスは、50年代にマンハッタンの453本の車道で拡幅工事を行ない、道端の落書きは消えていきました。街路は車のものか、人々のものか―。モーゼスとジェイン・ジェイコブスは当時、都市の街路をめぐる激しい論争を繰り広げました。

アウトドア・ダイニングのテントは、車道のうち、もっとも歩道よりのレーンにあります。そのいくつかは、かつて歩道であり、子供たちの落書きに満ちた空間だったはずです。それが現在、ふたたび人々が飲食を楽しむ場になっている。つまりアウトドア・ダイニングは、都市計画が奪った街路を人々のもとに取り戻していると言えるのです。ジェイコブスが愛でた賑わいが、時空を超えて蘇るかのように。

私は以前、道端の子供たちの落書きが姿を変えて戻ってきたのが、地下鉄をキャンバスにした70年代のストリートアートだと論じました。こうした都市の地層を知るとき、アウトドア・ダイニングのテントをキャンバスに転用することもまた、コロナ禍を超えて、より深い都市の記憶を呼び覚まします。それは私にとって、本展がニューヨークで開催されることの文化的意義をもっとも感じさせてくれることのひとつなのです。